将棋の歴史とそのルーツ。存続のピンチを救った「あの」ルール

升田幸三
将子ちゃん

NHKの大河ドラマ。囲碁の対局シーンが出てくることはあるけれど、将棋の対局シーンってないよね。なんでだろう?戦国時代には将棋はなかったの?

将棋ポータル編集部

いえ。戦国時代にはいまと同じ形で将棋は存在したと考えられています。ただ棋譜が見つかっていないのです。

将子ちゃん

なるほど。そうなのね。
なんか、将棋の歴史をまとめて知りたくなってきたよ。

くわしく教えて!

将棋ポータル編集部

おまかせください!

この記事を読むと
  • 将棋の歴史がバッチリわかります!
  • 現代に残る風習の理由が、バッチリわかります!
  • 将棋を観るのがもっと楽しくなります!!

それでは始めていきましょう!

著:升田幸三
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目次

将棋のルーツ

将子ちゃん

将棋って日本でうまれたゲームなの?

将棋ポータル編集部

現在の、将棋の形になったのは日本です。そして、将棋のもととなったゲームは古代インドでできたのではないかと言われています。

将棋のルーツは、紀元前2000年ごろの古代インドのゲーム「チャトランガ」で、そこから世界各地に伝わったといわれています。「チェス」や、中国の「シャンチー」、朝鮮半島の「チャンギ」、タイの「マークルック」、そして日本の「将棋」など、ルールや形態は違っても、みんな「チャトランガ」の子孫というわけです。

引用元:将棋の歴史
将子ちゃん

チャトランガというゲームが将棋の起源。

そして、チェスも将棋もシャンチーも、みんなチャトランガがもととなっているのね。

将棋ポータル編集部

はい。チャトランガが各地に伝わる過程で、様々なゲームへと形をかえていきました。

平安時代から戦国時代

将子ちゃん

チャトランガがいろいろな国を経由して日本に入ってきたのね。
じゃあ、日本に入ってきて、最初から今の将棋の形で対局されていたのかな。

将棋ポータル編集部

いえ、交互に1手ずつ指すルールは共通していますが、駒の種類・数。版の大きさなど様々な変化をしていきます。現代の将棋の形となったのは1400年代〜1500年代くらいではないかと言われています。

時代が進むにつれて、マス目を増やしたり、駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが 行われました。13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車・角行・醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案されます。14世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案されました。15、16世紀には小将棋から醉象が除かれて現在の本将棋になったと考えられます。

引用元:日本将棋の歴史
将子ちゃん

戦国時代前後にいまの将棋の形となったのね。
当時の戦国武将も将棋を指したのかしら。

将棋ポータル編集部

指していたと思うのですが、棋譜が見つかっていないのです。
囲碁の棋譜はあるのですが・・・。
今後見つかるかもしれないので、非常に楽しみですね。

持ち駒の使用

将子ちゃん

将棋は、とった駒を使えるところが他のゲームと比べてユニークな点だと聞いたことがあるよ。

将棋ポータル編集部

そのとおりです!
そして、とった駒をつかえるという話が、ドラマチックな対局や、第二次世界大戦後におきた将棋存続をめぐるドラマをうんでいきます。

世界各国の将棋型ゲームと日本の将棋には、明らかな違いがあります。自分が取った敵の駒が使えるというのは日本の将棋だけのルールです。このため、「最も複雑・高度なゲーム」といわれるようになりました。

引用元:将棋の歴史

江戸時代から明治

将子ちゃん

江戸時代は、家元制があったのよね。

将棋ポータル編集部

はい。幕府が家元制という形で、将棋を保護していた意味もあります。

約400年前の1612年(慶長17年)、幕府は将棋の大橋宗桂(大橋姓は没後)・囲碁の加納算砂(本因坊算砂)らに俸禄を支給しました。宗桂は五十石五人扶持を賜りました。やがて彼らは、家元として将棋所・碁所を唱えるようになります。

引用元:将棋の歴史
将子ちゃん

その後、明治以降はどういう形で、将棋は続いていくのかな。

将棋ポータル編集部

新聞社が対局料を支払うことで、棋士の生活を守り、将棋という文化が続いていくこととなります。

前年に神戸新聞社が関根金次郎と井上義雄との八段同士の対局を実現した神戸大会を開き、大きな話題を呼んだことが新聞棋戦開始のきっかけになったのです。

「萬朝報」の棋戦開始により、棋士に対局料が支払われるようになりました。段位にかかわらず1人1局2円(もりそば3銭の時代)の対局料でした。

引用元:将棋の歴史

将棋存続の危機を救った升田幸三

将子ちゃん

将棋存続の危機?そんなのがあったの?

将棋ポータル編集部

本当のところはわかりませんが、太平洋戦争が終わった後、GHQが将棋に悪印象をもっており、将棋をなくしたいと思っていたという話があります。

1947年(昭和22年)の夏、升田が嘱託を務めていた朝日新聞社経由で、GHQから名指しで「将棋の話を聞きたい」と呼び出された。升田が出頭すると数名の将官が面談した。GHQ高官は「チェスと違い、将棋では取った駒を自分の持ち駒として使う。これは捕虜虐待である」という旨を言った。升田はそのように言われることを予期しており「チェスでは取った駒を使わないが、これは捕虜虐殺である。将棋では、捕虜(取った駒)を、官位(角なら角、金なら金)はもとのまま、能力(駒の働き)を尊重して、味方として登用する。これこそ真の民主主義である」と反論した。

引用元:wikipedia
将子ちゃん

升田幸三実力制第四代名人って、大山康晴十五世名人の終生のライバルよね。
こんなカッコいいやりとりをGHQとしていたのね・・・!

将棋ポータル編集部

さらにこの後、将棋とチェスの例えで、GHQ高官をうならせています。
続きは、こちらの wikipedia 記事を御覧ください。

もし将来将棋がさらに形を変えることがあったとしても、取った駒を自分の持ち駒として使うというアイデンティティは守られる気がします。

まとめ

著:升田幸三
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将子ちゃん

将棋の歴史。面白かった!もっと深いところも知りたくなったよ。

将棋ポータル編集部

ありがとうございます!戦国時代の棋譜・・・。気になりますよね。

今後も将棋の歴史について、追記していきます。将棋の歴史について、あなたの「ココが知りたい。」「こんな話もあるよ!」をコメント欄にて、ぜひお知らせください。

最後まで読んでいただき有難うございました!


\ 楽しい記事がいっぱい! /

升田幸三

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